日本の城を学ぶ

大きさ、力強さ、美しさ…、魅力溢れる日本の城郭を徹底解説!

1597年、織田信長によって建てられた安土城を皮切りに、戦国大名たちの手により日本各地に築かれた城の数々。強固な石垣や城壁は外からの攻撃を防ぎ、門は何人たりとも通すことはなく、櫓から放たれる鉄砲や弓矢は敵をことごとく撃ち貫く…。そんな軍事要塞として作られた城はいつしか、その城主たる大名の権力や威厳、勢力の大きさを表す一種のバロメーターとして機能するようになった。

こうして「権威の象徴」となった城が、現代に生きるわれわれがイメージする「日本の城」であるが、そもそも、日本の城はいつ頃から作られ始めたのだろうか?われわれのイメージ通りの城が完成したのは、どの時代のことなのだろうか?日本各地に残る城や城跡を眺めていると、そんな疑問がふつふつとわいてくる。

そして、城と言えばつきものなのが「城下町」。町人や商人が楽しげに過ごしているさまを想像しがちだが、城下町は単なる経済の中心ではなかった、ということは意外と知られていない。また、沖縄県にある首里城や北海道にある五稜郭など、一風変わった城もあるが、これらももちろん、城の歴史を語る上では外すことのできない「日本の城」に相違ないのである。

このサイトは、以上のような城にまつわる素朴な疑問を取り上げ、長い歴史と複雑な経緯を持つ、歴史的建造物・「日本の城」の徹底解説を行うものである。荘厳優美な城の歴史とその意味に触れることで、奥ゆかしい日本式建築の象徴ともいえる城の世界に、ぜひ興味を持ってみてほしい。

同じ城でもこんなに違う!日本一堅牢な城と美しい城

日本の城郭は元々、戦国時代に“軍事要塞”として作られたものであったが、晩年では“領主の権威”を表すものとして作られるようになった。そのため、同じ日本の城郭でも、作られた時期によって、その特徴は大きく異なっている。

例えば、戦国時代初期に建てられた「小田原城」は“日本一堅牢な城”であったことで知られている。小田原城は日本最大の城郭であっただけでなく、四方を山・川・海に囲まれた自然の要塞でもあったため、攻めるのが非常に難しかったと言われている。しかも、外郭で街や農地ごと取り囲むという、日本の城郭としては珍しい構造をしていたため“篭城戦にも非常に強かった”とされる。

小田原城はその歴史上、名だたる武将たちを何度も退けている。最終的には城主の判断で開城させられることになるが、それまで一度として敵の侵入を許さなかった。まさに難攻不落の城といえるだろう。今はもう、当時の荘厳な姿を見ることはできないが、今でも小田原市の跡地から、その強大さを知ることができる。また、天守閣は復元されており、内部は資料館としても開放されている。小田原城のことを知るには絶好のスポットとなっているので、興味のある人はぜひ立ち寄ってみてもらいたい。

一方で、日本にはその美麗から、国内外問わず人気を集めている城郭もある。例えば、姫路城は“日本一美しい城”の一つとして数えられている。姫路城の別名は「白鷺城」。純白の漆喰によって彩られた天守閣が白鷺のように美しいことから、この名前がつけられた。また、建築物としても傑作だといわれており、国宝にも指定されている。

現在の城郭が築かれたのは戦国の世の後で、幸いにも、2度の世界大戦でも焼け落ちることがなかったので、今でも姫路城は昔のままの姿で残っている。しかも、2015年には5年に渡った大改修も終了し、より当時に近い姿を拝むことができるようになった。その姿はまさに白鷺がごとくである。春には周囲に咲く桜も相まって、その姿はさらに美しくなる。

このように、同じ日本の城郭でも、城の様相はまったく違う。そして、それは城が持つ歴史が異なっているからだ。城の観光するなら、城の背景にある歴史も学んだほうがいいだろう。そうすれば、城の観光をより楽しむことができるようになるはずだ。