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加藤清正とは

肥後国の熊本藩の初代藩主であった加藤清正は、1562年に刀鍛冶の子として生まれ、羽柴秀吉に仕えての数々の武勲から、肥後北半国を任せられるなどその頭角を現した。治水事業等の内政にも手腕を発揮し、朝鮮半島への大規模出兵となった慶長の役でも重要な役割を果たした。その際の石田光成との不和からの謹慎及びその後の伏見大地震における逸話などからは、加藤清正という人物の誠実さが伺える。

石垣の名人として

清正は天下普請において10の城の建設に関わっており、特に石垣の構築に長けていたとされている。晩年である1610年の名古屋城建設の際には天守台の建設において清正公流石垣とも呼ばれる優れた石垣を作り上げた他、江戸城等でもその腕を見せた。