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西南戦争でも活躍した熊本城

清正が自らの城である熊本城の改修に着手したのは1601年のことで、周辺の河川を用いた天然の堀を初め、天守や多数の櫓、門を備えた大規模な城としてその完成を見た。天守までの道を通りづらくさせることで櫓からの攻撃を容易にさせる仕掛けや、20mを優に超した強固な石垣や門を配置させた強固な構造が特徴だった。それは後の1877年、西南戦争時における同城での籠城戦にて威力を現し、新政府軍は52日間の抵抗の末薩摩軍の撃退に成功するという実績を残している。

数々の戦を経た今も

現在の熊本城に残る建造物の中でも最大の物が五階櫓だ。その規模は他の城の天守に相当するほどで、現存する城の中でも4番目である。複雑に入り組んだ石垣や通路の構造は、戦から遠く離れた現代においても天守までの道のりを実際よりもより遠くに感じさせている。