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綿密な都市計画に基づいていた城下町

“高くそびえる天守とその周囲に広がる城下町”という、時代劇によく見られる構造は、織田信長の治世である桃山時代以降、本格的に形成されていった。城下町の構図自体は、室町時代後期に端を発している。当時の戦国大名たちは、城の周囲に家臣たちと商工業者を集め、住まわせた。そして桃山時代になると、家臣・商工業者の住居に加えて、商人たちの開く市を城下にまとめ、誰もがイメージするであろう“城下町”となったのである。何かと猥雑なイメージのある城下町だが、実は、“町割”と呼ばれる都市計画をもとに、計画的に区分されたうえで、配置が行われていたのだ。

侍町と身分格差

城に近い地区には武士の住む侍町が存在した。内側に行くほど居住者の位が高くなり屋敷が目立つ一方で、その外側は足軽のような低身分の者の住む長屋が並ぶなど、その構成には身分の高低が強く反映されていた。