日本の城を学ぶ
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2人の築城名人

戦乱の世において、城はその持ち主たる大名の力や規模の大きさを示すだけでなく、敵の軍勢の攻撃や包囲にも耐えられる強力な軍事拠点にもなった。その城を語るうえで欠かせないのが、その生みの親である優秀な設計者の存在だ。

加藤清正とは

肥後国の熊本藩の初代藩主であった加藤清正は、1562年に刀鍛冶の子として生まれ、羽柴秀吉に仕えての数々の武勲から、肥後北半国を任せられるなどその頭角を現…

西南戦争でも活躍した熊本城

清正が自らの城である熊本城の改修に着手したのは1601年のことで、周辺の河川を用いた天然の堀を初め、天守や多数の櫓、門を備えた大規模な城としてその完成を…

藤同高虎という人物

藤同高虎は羽柴氏に仕え続けた加藤清正とは対照的に、その主君を何度も変えている事がその特色として挙げられる。浅井、磯野、豊臣、そして徳川へとその興隆を察知…

高虎らしさがあふれる今治城

今治城は関ヶ原の戦いの後に20万石大名となった高虎が、その新たな領地に建設した城である。2年の歳月の後に完成したこの城は、瀬戸内海沿いに面した砂地という…